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森博嗣 『探偵伯爵と僕』 |
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藤代美代子 | (未提出) |
黒咲天膳 6点 |
全体として、まあ割と面白かった。 語り部の小学生「僕」は怪しげな中年男・探偵伯爵に出会う。その後、「僕」は身近で起きた誘拐事件に巻き込まれるものの、探偵伯爵とその助手・チャフラフスカによって助けられ、最後に彼らの手で事件が解決されるまで付きまとい、事件の全貌を知る。 作品の序盤は童話じみた不思議な雰囲気があった。黒い礼装の中年男が怪しげな行動を繰り返し、語り部の小学生はそれを素直に受け止めている。が、その中年男の炸裂する怪しさを指摘するものがいなかったため現実味が薄れていた。そして、その現実味の薄れた世界観は、その実残酷な現実を描き出しているものだと読者に知らしめた後、改めてその事件(げんじつ)に対する知的興味を掻き立てるという効果も持っていた。 私はあまりミステリを読まない。だからこの展開が普通のミステリのものかどうかは分からない。物語の終盤、次々とトリックが明らかになるにつれて様々な符号の意味が見え、まるでパズルを解いたかのような爽快感があった。そして、すべてのなぞが解けた、と感じたとき、突きつけられる探偵伯爵(さいご)の答え。「あ、やられた!」と、まるで真っ当なタイマンで出し抜かれ、きれいにやられてしまったような清々しい気分を味あわせてもらった。畜生。 この作品のポイントは小学生の視点であるということだと思う。子供の視点を通して事件を見るとどうなるのか、その中で子供は何を思うのか。精神の異常な犯人。探偵伯爵とチャフラフスカの関係。大人のおかしさ。そういったものをミステリというジャンルで包み、描き出したことが大きなポイントだろう。 なるほど、「僕」は楽しそうにブランコをこぐ、いい年こいた黒マント大人を受け入れられるだけの純情さを持ち、子供なりにものを考えるが結局はガキの理屈で行き詰るあたり、とても子供らしい。が、私はどうもこの「子供」の作りこみが甘いような気がしてならない。語彙が豊富すぎたり、常日頃から深いことを考えたり、純情すぎたりと、どうにも大人の作為が裏側に透けて見える。作品の展開上仕方の無いことだったのかもしれないが、こういう現実から目をそらした陶酔を見るとどうにも吐き気がしてならない。 この作者は大人の物語を書いたほうが味の出る書き手だと思う。 最後に、ミステリとしては面白かったが語り口はいまひとつ、というのを簡単な総括とさせてもらう。 |
街角闘人 8点 |
「小学生が書いた日記」という形式で書かれた本作は、小学生の描き方がとても素晴らしい。例えば冒頭。「夏休みに日記を書けといわれた。(中略)しかたなく書くことにした。しぶしぶっていうのかな。」街角が注目したのは、この「っていうのかな。」の部分である。この小説において、「僕」こと馬場新太少年は度々こんな表現を使用する。「これは慣用句というのだと思う。」「帯に短し襷に長しというのかもしれないけど、自信はない。」「いや、一石二鳥の用法としては、ちょっと違っている気もする。」などなど。また彼はこの日記をワープロを使って書いていて、まだ学校で習っていない漢字も自動的に変換されるので難なく使っているのだが、タモ(小型の掬い網のこと)やケチといった漢字に変換されない単語に戸惑いを覚えていたりもする。こういった描写から、まだ日本語を十二分に操ることの出来ない幼さをリアルに感じ取った。実に上手い。自信はないけど何処かで聞いたことのある言葉を使ってみたい、という心情はかつて子供であった者なら誰にでも理解できるものだろう。 よし、この手法を今後小説を書く上で参考にしよう。 子供の描写がリアルなことで、「子供の視線で見る大人の世界」というありふれたテーマもよりリアルに深く読者の意識に迫ってくる。単純に子供を主人公にして大人の世界を語らせてるだけでは上手くいかないだろう。この小説ではそれを見事に成功させている。「探偵伯爵」という非現実的な存在も、子供たちの現実性と対照的で、絶妙な相乗効果を出している。良い。拍手。 ところで、本作で起こる事件。ミステリーというほどの謎はない。奇想天外なトリックもない。意外な結末も用意はされているが、しかし驚天動地と言うほどではない。「少年少女のためのミステリー」なので仕方ないのだろうが、そういうものを期待していた分、拍子抜けした感があった。ただ、この小説があくまで「子供の視線、そのリアルさ」を求めているのであれば、謎が謎を呼ぶ奇々怪々なストーリーなど必要ないんじゃないかな、とも思いますです。はい。 小学生の描き方の巧みさ+5点。懐かしさ度+2点。キャラ萌え度±0点。ミステリー部分の意外性度−1点。探偵伯爵みたいなおじさんがいたらいいなぁ度+1点。でもやっぱりどうだろう度−1点。装丁のかっこよさ度+2点。合計8点。 |
秋山真琴 10点 |
本書は、新本格の仕掛け人としても有名な講談社の名編集長・宇山日出臣の最後の仕事「ミステリーランド」に名を列ねる作品のひとつである。「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」というキャッチフレーズを掲げ、現在では有栖川有栖・太田忠司・小野不由美・篠田真由美・島田荘司・殊能将之・高田崇史・竹本健治・西澤保彦・はやみねかおる、といった錚々たる顔ぶれによる、書き下ろし作品が刊行されている。 著者の森博嗣は講談社が主催しているメフィスト賞の第一回受賞者で、国立N大学助教授で、ミステリ作品の他にエッセイ集・詩集・絵本などの著作も持っている。そして何を隠そう、秋山は森博嗣の名が冠せられた作品のすべてに目を通している、相当な熱狂的ファンだ。とは言え、秋山は別段、氏の作品を著者が森博嗣だからといって全肯定するようなファンではない。氏の作品の中にも首を捻るようなものはあり、そういった作品を色眼鏡を掛けずに評価できると思っている。 さて、本書は素晴らしい。 「ミステリーランド」と銘打たれた作品を読むのは、本書が初めてなのだが、まずこの装丁が素晴らしい。次いで小学校低学年でも読めるように打たれたルビ、そして思いっきり取られた行間や余白が贅沢で心地よい。 注目したいのは、本書がミステリの愛読者よりも、低年齢読者へ向けた配慮が数多くなされている点だ。判りやすいところでは、大人が何かしら難しい言葉を使った際、小学生の主人公は聞き覚えのない言葉に首を傾げる、これを見て大人は先の言葉をより平易な言葉で言いなおすのだ。他には「夏休みの自由課題で昆虫の標本を作るのは平気だけれど、猫や犬は駄目、何故か?」といった問いが発せられたりする。また、貯金をするように夏休みの宿題をこなしたり、子どもを心配する母親や家族を失うことの悲しみなどが描かれている。筆致は、さらりとしていて軽やかなのだけれど、その実体は根源的かつ哲学的で「大人が子どもに教えるべき本当のこと」に満ち溢れている。 繰り返すが本書は、子ども向けに書かれた小説として、素晴らしい。森作品に共通して見られる詩的さや哲学が、判りやすく、そして親しみやすいかたちで存在している。願わくば、秋山も自分の子どもに、探偵伯爵のような態度で接したいものだ。 |
平均 | 8点 |
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上遠野浩平 『しずるさんと偏屈な死者たち』 |
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藤代美代子 | (未提出) |
黒 4点 |
「しずるさんと偏屈な死者たち」は全三篇の短編ミステリで、各話の合間に「ハリネズミチクタの冒険」なる超短編が挿入されている。 全編に妖怪、幽霊、宇宙人などのオカルト関係の名前が添えられており、その題名に絡む形で殺人事件が展開される。 冒頭ではオカルト関係の事件であることを匂わせておきながら、実際には全て現在の常識で捉えられる推理ものである。 探偵役は謎の病気で入院中の天才少女しずるさん、助手役は良家のお嬢様であるよーちゃん。 しずるさんはよーちゃんが集めてくる情報を元に推理をし、ベッドから起き上がることも無く事件を解明する。 「伯爵探偵と僕」のレビューにも書いたように私はあまりミステリを読まない。 だが、いや、だからかも知れないが、この作品をミステリとして読んでもあまり面白く思えなかった。まず、提示された謎に対する知的探究心みたいなものが湧かなかった。 原因は多分二つ。謎の謳い上げがあまりなされていなかったことが一つ。ここでいう謳い上げとは、盛り上げと言えば分かりやすいかもしれない。特定の内容をライトアップするために、その前後のテンポをそこに向けて早めていったり、わざと淡々とした描写で埋めて引き立てたりすることが例に挙げられると思う。ほかの分野で言えば、漫画で集中線を引いたり、絵で対象を映えさせるような構図の工夫をしたりすることにあたる。 もう一つは、私がこれまで読んできた上遠野氏の作品のイメージだ。 ブギーポップシリーズで、人外キャラや日常生活を送っていたのでは分からないような裏の知識を駆使して日常から非日常へと移行しながら十代の少年少女たちの心理を描き、人間や物事に対する深い考察をした氏の作品に慣れたいた私には、「しずるさんと偏屈な死者たち」で提示された謎と解答はほかの何かを謳い上げるための小道具や背景などの伏線ぐらいにしか思えなかったのだ。 以上が、「しずるさんと偏屈な死者たち」の大まかな感想。 ここから先はさらに偏見に満ちた感想。 上遠野氏の作品の欠点として、女性心理が不自然というのがある。 いや、私も自然な女性心理なんかかけないし、女性が書いた自然な男性心理というのもあまり見かけないが、上遠野氏のそれは目立って不自然という感じがする。というより、上遠野さんは少女モノで書くのには向いていないような気がする。 ミステリよりも物語や作品の雰囲気、萌え度などで売っているF士見ミステリ文庫では致命的ではなかろうか。 何となく、だが。 この「しずるさん(以下略」は…… 「上遠野さ〜ん。今度うち(F士見書房)で何か一本書いてくださいよ〜。大丈夫ですって、ねたはこちらで用意しますから。そうだ、この間「F士見ミステリ文庫」っつーのを出したんですよ。そこで、今流行の美少女路線で探偵と助手を据えて、オカルトの要素を絡めた殺人事件を解明させるんです。いけますよこれは!ね、どうか一本!」 ……というような出版社側の作為があったような気がする。 名前が売れるとやっつけでも売れるからとにかく書かせてしまえ、みたいな。 私は上遠野氏の作品が大好きだ。特にブギーポップシリーズは思い入れが深い。 読んだ当時中学生だった私は思わず似非神父と化し、 「アナ〜タハァ、泡ヲシンジマ〜スカァ?」 とVSイマジネーター片手に道行く人に布教して回ったほどである。(一部誇張 とはいえ、あまりこういうやっつけ仕事ばかりやっているとファンの心も離れていきますよ、と上遠野さんには中進申し上げたい所存である。 |
街角闘人 6点 |
「――つまり殺人というのは、基本的には失敗の埋め合わせであり、自分の怠惰をごまかそうっていう姑息なものなのよ」 しずるさんは原因不明の病に侵され病室から出ることが叶わない身体でありながら、わずかな情報から難事件の謎を推理し解き明かす、いわゆる安楽椅子探偵である。しかも容姿端麗のお嬢様。完膚なきまでに薄幸の美少女。「犯罪はごまかし」という口癖はなかなか素敵だが、なんていうか、その辺から「完成していたのか……」とかなんとか聞こえてきそうだけど、……うーん、なんだろう。あまりにも典型的過ぎやしないか、コレ。今さら、ミステリーの主役にこんな設定が必要なのだろうか。とか思いつつ読み進めていくと、そんな考えは間違いで、実はミステリーの部分こそ、物語にとっては不要とされていたのであった。なんていう逆転の発想だ。そうか、ここに作者の「ごまかし」があったわけだな。ふっふっふっ、この街角闘人は騙されんぞ。 ……何をいきがっているのだろう。 さて。この物語は、病床のしずるさんと、唯一の見舞い客にして無二の親友よーちゃん(こちらも美少女)が仲良くお話をする、というそれだけのものである。その話題として不可思議な事件が取り上げられているだけであって(否、それなりに深い意味を保有したテーマはあるが)、彼女らにとって事件の重要度はそれほど高くはないのだ。というより、この二人の方が謎だらけ。ホント。事件なんてどうでもいいくらいに。 二人の会話こそ、この小説のメインなのである。ならば、その話題はミステリーでなくてもよい。そのような理由で(たぶん)存在するのが、書き下ろしの「はりねずみチクタのぼうけん」だ。こっちはミステリーでもなんでもない、のほほんとした二人の会話が繰り広げられるだけのお話である。何にもない、何でもない、だからこそ深い幸せを描いていて、街角は読みながら「こんなお話が書けるようになりたいなぁ」と思いましたとさ。 しずるさんとよーちゃんのキャラ萌え度でそれぞれ+2点ずつ。死者たちの偏屈度で+1点。真相の驚き度で+1点。事件なんてどうでもいい度−1点。舞台設定のありきたり度で−2点。「チクタ」のほのぼの感で+3点。合計6点。 |
秋山真琴 0点 |
(未提出) 本が手元にないので、レビューを書くことができないが、点数だけは出しておこう。 |
平均 | 3.33点 |